由緒

北野神社の由緒


天満宮 北野神社の由緒

天満宮 北野神社
御祭神 菅原道真公

彦根藩二代城主井伊直孝公は幼少時上野国碓氷郡後閑村(現在の群馬県安中市下後閑)に鎮座する威徳山北野寺に預けられ、境内の薬師堂にて寝食し、住僧慶算を師として学問などに邁進されました。
北野寺の境内に学びの神様として信仰される菅神(菅原道真公)をお祀りした天満宮があり、直孝公十一歳のとき天満宮御本殿の左右に《杉・檜》の二樹の苗木を植えられ、神前にて「立身出世・武運長久・子孫繁栄・天下泰平」を祈願されました。

その後大阪冬の陣・夏の陣で大きな手柄を立てた直孝公は、一六一四年(慶長十九年)に彦根城主を任ぜられ家督を継ぎ、彦根城下の構築に努める中、一六二〇年(元和六年)に幼い頃を過ごし「立身出世・子孫繁栄」を誓われた彼の後閑村鎮守の天満宮の思いが断ち切れず、彦根山から馬場の里に移された金亀山彦根寺境内に天満宮の社を建立されました。そして後閑村天満宮の御分霊を勧遷奉斎され、彦根城・城下町守護の神社とされました。

この折に金亀山彦根寺の名称も北野寺と改められました。これを当神社のご創建とします。
寛政七年社殿焼亡するも井伊直中公が再建。明治ご一新、神仏の混淆廃止令により北野寺と境内を折半し北野神社と改称。大正九年、県社に加列され彦根市中・西部の氏神様として尊崇され、現在に至っています。





境内社について



本殿


北野えびす神社


能舞台