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北野神社の由緒

彦根藩二代城主井伊直孝公は幼少時上野国碓氷郡後閑村(現在の群馬県安中市下後閑)に鎮座する威徳山北野寺に預けられ、境内の薬師堂にて寝食し、住僧慶算を師として学問などに邁進されました。
大阪冬の陣・夏の陣で大きな手柄を立てた直孝公は、一六一四年(慶長十九年)に彦根城主を任ぜられ家督を継ぎ、彦根城下の構築に努める中、一六二〇年(元和六年)に幼い頃を過ごし「立身出世・子孫繁栄」を誓われた彼の後閑村鎮守の天満宮の思いが断ち切れず、彦根山から馬場の里に移された金亀山彦根寺境内に天満宮の社を建立されました。





お知らせ

観光協会が発行している冊子「井伊家ゆかりの社寺巡り」に当社が掲載されています。